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80年代、「芸術は爆発だ!」という言葉で、一躍世間の注目を浴びた岡本太郎。「凡人の理解を超えた変わり者」というタレントのイメージもあるが、画家・写真家・彫刻家・建築家・思想家の顔を持ち、芸術家という言葉にはとうてい収まり切らないスケールの大きな人物だ。本作では岡本太郎に影響を受けた人々をはじめ、総勢29名へのインタビューを敢行。芸術論だけでなく、社会学・考古学・民俗学・哲学の結晶としての岡本太郎が語られ、「太陽の塔」に込められたメッセージを解き明かす。
2018年3月、48年ぶりに内部展示「生命の樹」の一般公開が始まるやいなや、見学希望者が殺到。一時はサイトのサーバーがダウンする事態にまでとなった。今秋には、「太陽の塔」展の開催も決まっており、48年の時を超えて、再び太陽の塔に注目が集まっている。
監督はこれまでにMVやCMを手がけ、カンヌ広告祭ではヤングディレクターズアワードなど3部門を受賞するなど、日本を代表する若手映像クリエイターとなった関根光才。あえてナレーションを使わず、時にはフィクションの映像を用いながら、太陽の塔に新たな命を吹き込んだ。今年秋には初の長編監督作である『生きてるだけで、愛。』(原作:本谷有希子)の公開も控えている。
「太陽の塔」の構想段階から完成、再生事業までを立体的なアプローチで網羅し、岡本太郎の感性を大きなスケールで体感する展覧会を大阪・あべのハルカス美術館にて開催。

2015年、岡本太郎記念館の館長である平野暁臣さんにお会いして、「太陽の塔」のドキュメンタリー映画を作ることになり、これは大変なことになったと思った。当初考えていたものは、やはり「普通」なもので、建設当時を振り返り、改装工事に密着するようなイメージであった。しかし、太陽の塔に関する番組、書籍、情報は溢れ、検索すれば様々な非常に詳しい情報が瞬時に出て来るこの現代で、1970年の通称・大阪万博当時の制作過程を振り返っても、どこかで見たこと、聞いたことがあるものにしかならない。
また、2018年3月に耐震修復工事が完了し、内部展示である「生命の樹」が公開されれば、多くのマスコミが取り上げ、さらに詳しい情報が手に入る上に、何よりもあの実物を「見ることができる」状況になるのだ。
さていったい何をドキュメントすればいいのか。そして、誰に監督してもらうか、という問題も解決しておらず、決定的な何かと誰かを見つけることができないままであった。
そんな時、平野さんが、「監督を公募しよう!」と前代未聞の提案をされた。普通ならあり得ないかもしれない。でも、太陽の塔に対する情熱をオーディションできるのは、それはすごく正しいことかもしれないと、公募を開始することにした。2016年の春のことである。
結果、98通の応募をいただき、最終6名の方とお会いしてテーマなどを聞く場を設けた。その中で、関根光才という映像作家のコンセプトは自分たちの想像を超えていた。
関根光才は、「太陽の塔を通して日本人とアートとの関わり方を描きたい」「太陽の塔を通して今ある状況、これからの日本を考えるきっかけにしたい。それが太陽の塔なんじゃないかと思う」と、プレゼンテーション用の資料も映像も何も持たずに、身ひとつで現れて、落ち着いた口調で話した。
今までのことを記録するのでなく、見る人とともに変わっていくドキュメンタリー映画。関根監督のこの提案に賭けてみたい!そんな、ワクワクする決定だった。

 岡本太郎の作った「太陽の塔」には過去と現在と未来の部分があり、ひとつの見方として、あれは曼荼羅なのだという。だから、『太陽の塔』というタイトルのついたこの映画も、過去と現在を描くと同時に、とりわけ未来につながる、そんなドキュメンタリー映画としたかった。

この映画を感じていただき、この映画を未来に向かって一緒に育てていただけたら、と願っています。
1976年生まれ。東京都出身。上智大学文学部哲学科卒業後、CM制作会社ハット在籍中の2005年に短編映画『RIGHT PLACE』を初監督し、翌年カンヌライオンズ(カンヌ国際広告祭)のヤング・ディレクターズ・アワードにてグランプリを受賞、同年SHOTSの発表する新人監督ランキングで世界1位となり、国際的にも認知される日本人監督となる。
2008年に独立して以降、Nike、Adidas、TOYOTA、資生堂など数多くの広告映像や、Mr. Children、The Fin.、Young Juvenile Youthなどのミュージックビデオを演出し、2012年には短編オムニバス映画『BUNGO~ささやかな欲望~』にて岡本かの子原作『鮨」を監督。2014年の広告作品HONDA Internavi『Ayrton Senna 1989』ではカンヌライオンズで日本人初となるチタニウム部門グランプリ、フィルム部門ゴールド等多数の賞を受賞。
本作が初の長編ドキュメンタリー映画となり、2018年秋には長編劇場映画初監督作品「生きてるだけで、愛。」も公開となる。
現在は国内・国外で映画監督・映像作家としての活動を行う傍ら、東日本大震災以降に発足した、表現で社会や政治に向き合うアートプロジェクト「NOddIN(ノディン)」などでも創作活動を続けている。
HONDA / Sound of Honda Internavi「Ayton Senna 1989」篇
カンヌ国際広告祭 チタニウム部門 グランプリ
カンヌ国際広告祭 フィルム部門 ゴールド
D&AD サウンドデザイン ブラックペンシル
文化庁メディア芸術祭 グランプリ

Nike Japan / Free Run Plus「Nike Music Shoe」篇
カンヌ国際広告祭 フィルムクラフト部門 シルバー
カンヌ国際広告祭 フィルム部門 ブロンズ

Adidas Originals UK / Safety Wear Collection「Split Up Service」篇
カンヌ国際広告祭 フィルム部門 シルバー
ニューヨーク・フェスティバル ゴールド
CLIO広告賞 ブロンズ

レインダンス映画祭 / Diesel「Daughter」篇
カンヌ国際広告祭 Young Directors Award 2006 審査員特別賞(グランプリ)
カンヌ国際広告祭 Young Directors Award 2006 最優秀CM賞(非EU部門)
ニューヨーク・フェスティバル ファイナリスト
アドフェスト ベストディレクター・ノミネート
D & AD Award In-bookセレクション
ショートフィルム「RIGHT PLACE」
カンヌ国際広告祭 Young Directors Award 2006 / 最優秀ショートフィルム賞
AdFest / New Directors “Remarkable 5” 日本代表作品
ニューヨークフェスティバル / Film and Video部門 ゴールド
ニューヨーク短編映画祭 / 最優秀外国映画賞
レインダンス映画祭 / Diesel 最優秀映画賞
ResFest 2005 / ワールドツアー選定作品
onedotzero10 / ワールドツアー選定作品
No Spot 短編映画祭 / Finalist
パームスプリング国際短編映画祭 / 公式出品作品
エジンバラ映画祭 /公式出品作品
ロスアンゼルス国際短編映画祭 / 公式出品作品

富士ゼロックス「Balloon」
ACC CMフェスティバル ゴールド
■JEMAPUR「Maledict Car」MV
ONE SHOW Broadcast Design部門 ゴールド 文化庁メディア芸術祭 審査委員会推薦作品

福岡人権尊重週間 「黒板」篇
広告電通賞 公共広告部門 最優秀賞
ギャラクシー賞 優秀賞
ACC CMフェスティバル シルバー ニューヨーク・フェスティバル ファイナリスト
電子音楽家、サウンド・デザイナー。2001年頃よりコンピュータを用いた制作を開始。Eerik Inpuj Sound, #//といった初期ネット・レーベル・シーン最深部のコミュニティより強い影響を受け, 2002年, SAAG RecordsをSabiと共に設立し、国内外の異形アンビエント・IDM作品を編纂して数枚のリリースを行った後現在は活動休止。現在はウクライナ・キエフを拠点に活動するFF’Spaceと共にマイクロ・サンプリング、アルゴリズミック・コンポジションなど、音そのものが鑑賞者の知覚に対して影響・拡張し得る領域について日々研究を重ねている。
これまでにHydeOut Productions, W+K Tokyo Lab., Phaseworks, BETA,Detroit Undergroundなど国内外のレーベルより4枚のアルバムを発表。
自身の作品制作のほか,ヴォーカル・ゆう姫とのエレクトロニック・ミュージック・ユニット Young Juvenile Youthの音楽プロデューサーとしても精力的な活動を続けている。近年では、ショウダユキヒロ監督による体感型アート・フィルム「KAMUY」のサウンドトラックを担当するなど,多方面にその活動の領域を拡げている。
今回、『太陽の塔』で初めて長編映画全編に渡るサウンドトラック制作を担当する。
■撮影:上野千蔵  ■照明:西田まさちお  ■録音:清水天務仁  ■編集:本田吉孝  ■本編集:木村仁  ■カラリスト:Toshiki Kamei
■CGチーフディレクター:尹 剛志  ■アニメーションディレクター:牧野惇  ■音響効果:笠松広司  ■製作:井上肇、大桑仁、清水井敏夫、掛川治男
■エクゼクティブプロデューサー:平野暁臣  ■プロデューサー:曽根祥子、菅原直太、鈴木南美、倉森京子、桝本孝浩、後藤哲也
■ラインプロデューサー:佐野大  ■プロダクションマネージャー:西野静香
あのわけのわかんない、べらぼうなものを我々は贈与された。
太郎は生命の根源を見続けようとした。
怒りの彫像でもなければ、慈愛をテーマにしているとかでもなく、言葉を排除してるんです。
得体のしれない怪物が、そこに出来上がった、みたいな。
既成の美術ではなくて、いままでにない美術。
供物という意味合いで、太陽の塔があれば、凄い面白い。
それほど美しいフォルムだとは思いませんけれども・・・。
岡本太郎自身の宇宙観が、まさにあそこ(太陽の塔)に表れている。
人間としての根源の在りようを表現しようとした。
曼荼羅を作ろうと思って、あれを作ったのですよね?それはとても興味深いです。
太郎はテーマ展示の施設を作るために呼ばれたんです。
普通にやっても勝てないわけですよ、欧米の文明に。
曼荼羅は神殿、中のトルマは神の姿です。
人々の中に眠る本能を叩き起こそうとしていたんだと思います。
今の時代が悪いとか思わないんですけど、何なんだこのリアルの無ささ。
彫刻なのか、建築なのか美術なのか、よくわからないものですよね。
役に立たないものですよね。それがなんか楽しい。
ものづくりはコミュニケーションで、他者がいて、対象がいて成り立つもの。
あの広い会場に、、、祭の神像として、太陽の塔が。
日本ってとか、人類ってとか色んな事を背負いながらただ佇み続ける覚悟を感じます。
作品って不思議なもので、誰かを誘惑するというか、刺激したわけじゃないですか。
トルマっていう奴。神さまへのお供物ですね。これが、太陽の塔の形をしてることは、本当だと思う。
宇宙を三次元的に立体化したものが、曼荼羅なんです。
全部見透かされるような感じがありますよね。その目がね。
この塔は何だったんだろう。
太郎は“芸術は爆発だ”って。実はもう社会は暴発しているのかもしれない。
万博の常識、万博の価値観、そういうものと真逆なんですね。
掘り下げていくと、全部繋がるから、結局、縄文にだけにこだわることはないのかなと思っていて。
 
1911年生まれ。岡本一平とかの子の長男。東京美術学校に入学、父母の渡欧に同行し、1930年からパリに住む。数々の芸術運動に参加しつつ、パリ大で哲学・社会学・民族学を専攻、ジョルジュ・バタイユらと親交を深める。帰国し兵役・復員後、創作活動を再開、現代芸術の旗手として次々と話題作を発表した。1970年の大阪万博テーマ館もプロデュース。一方、旺盛な文筆活動も続けた。1996年没。
1911年
漫画家の父・一平、歌人の母・かの子の長男として生まれる。
1929年
東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。両親とともに神戸港を出港。
1930年
パリに到着。パリでの生活をはじめる。
1933年
アプストラクシオン・クレアシオン(抽象・創造)協会に最年少で迎えられる。
1936年
サロン・デ・シュランデパンダン展に《痛ましき腕》を出品。
1937年
パリ万博跡地にミュゼ・ド・ロム(人間博物館)が開館。
パリ大学民族学科の学生として同館でマルセル・モース教授に民族学を学ぶ。
1940年
帰国し、42年より戦争へ出兵。
1946年
復員するも戦災で作品もろとも自宅は焼失。
1948年
花田清輝らと「夜の会」を結成。前衛芸術運動をはじめる。独自の芸術理念「対極主義」を提唱。
1949年
第34回二科展に《重工業》を出品。
1950年
第35回二科展に《森の掟》を出品。
1951年
東京国立博物館で縄文土器を見て衝撃を受ける。
1952年
「四次元との対話―縄文土器論」を発表。
1954年
坂倉準三設計のアトリエ(現岡本太郎記念館)が青山に完成。「現代芸術研究所」と名づけ、新たな芸術運動の拠点に。『今日の芸術』を刊行。
1956年
丹下健三設計の旧東京都庁舎に7面の陶板レリーフ壁画を制作。縄文土器論を収録した『日本の伝統』を刊行。
1957年
日本各地を精力的に取材した「芸術風土記」を『藝術新潮』に連載。
1959年
沖縄を訪れ、御嶽(うたき)に感動する。
1961年
『沖縄文化論』を刊行。
1964年
丹下健三設計の国立代々木競技場に8面の陶板レリーフ壁画を制作。
1967年
大阪万博のテーマプロデューサーに就任。《明日の神話》の制作を開始。
1969年
メキシコにて《明日の神話》完成。
1970年
大阪万博*開幕。シンボルゾーン中央に太陽の塔を含むテーマ館が完成。
1975年
太陽の塔の永久保存が決定。
1993年
太陽の塔の大規模改修工事完了。
1996年
逝去。
1997年
財団法人岡本太郎記念現代芸術振興財団設立。
1998年
岡本太郎記念館開館。
1999年
川崎市岡本太郎美術館開館。
2006年
《明日の神話》の修復完了。東京・汐留にて初公開。
2008年
東京・渋谷駅の連絡通路に《明日の神話》が恒久設置される。
2011年
生誕100年事業「TARO100祭」が開催される。
2018年
太陽の塔の耐震補強/内部再生工事が完了し、恒久展示施設としてオープン。半世紀ぶりに内部の一般公開がはじまる。
*大阪万博・・・正式名称は、日本万国博覧会。大阪府吹田市の千里丘陵にて、1970年3〜9月までの約半年間開催。アジア、日本初の国際博覧会として、「人類の進歩と調和」をテーマに、77カ国が参加し、約6.400万人を動員。2010年の上海万博まで、世界最多の動員数を誇った。会場施設の設計を統括する基幹施設プロデューサーを丹下健三が、テーマ展示の制作を担うテーマプロデューサーを岡本太郎が務めた。