あのわけのわかんない、べらぼうなものを我々は贈与された。
太郎は生命の根源を見続けようとした。
怒りの彫像でもなければ、慈愛をテーマにしているとかでもなく、言葉を排除してるんです。
得体のしれない怪物が、そこに出来上がった、みたいな。
既成の美術ではなくて、いままでにない美術。
供物という意味合いで、太陽の塔があれば、凄い面白い。
それほど美しいフォルムだとは思いませんけれども・・・。
岡本太郎自身の宇宙観が、まさにあそこ(太陽の塔)に表れている。
人間としての根源の在りようを表現しようとした。
曼荼羅を作ろうと思って、あれを作ったのですよね?それはとても興味深いです。
太郎はテーマ展示の施設を作るために呼ばれたんです。
普通にやっても勝てないわけですよ、欧米の文明に。
曼荼羅は神殿、中のトルマは神の姿です。
人々の中に眠る本能を叩き起こそうとしていたんだと思います。
今の時代が悪いとか思わないんですけど、何なんだこのリアルの無ささ。
彫刻なのか、建築なのか美術なのか、よくわからないものですよね。
役に立たないものですよね。それがなんか楽しい。
ものづくりはコミュニケーションで、他者がいて、対象がいて成り立つもの。
あの広い会場に、、、祭の神像として、太陽の塔が。
日本ってとか、人類ってとか色んな事を背負いながらただ佇み続ける覚悟を感じます。
作品って不思議なもので、誰かを誘惑するというか、刺激したわけじゃないですか。
トルマっていう奴。神さまへのお供物ですね。これが、太陽の塔の形をしてることは、本当だと思う。
宇宙を三次元的に立体化したものが、曼荼羅なんです。
全部見透かされるような感じがありますよね。その目がね。
この塔は何だったんだろう。
太郎は“芸術は爆発だ”って。実はもう社会は暴発しているのかもしれない。
万博の常識、万博の価値観、そういうものと真逆なんですね。
掘り下げていくと、全部繋がるから、結局、縄文にだけにこだわることはないのかなと思っていて。