2015年、岡本太郎記念館の館長である平野暁臣さんにお会いして、「太陽の塔」のドキュメンタリー映画を作ることになり、これは大変なことになったと思った。当初考えていたものは、やはり「普通」なもので、建設当時を振り返り、改装工事に密着するようなイメージであった。しかし、太陽の塔に関する番組、書籍、情報は溢れ、検索すれば様々な非常に詳しい情報が瞬時に出て来るこの現代で、1970年の通称・大阪万博当時の制作過程を振り返っても、どこかで見たこと、聞いたことがあるものにしかならない。
また、2018年3月に耐震修復工事が完了し、内部展示である「生命の樹」が公開されれば、多くのマスコミが取り上げ、さらに詳しい情報が手に入る上に、何よりもあの実物を「見ることができる」状況になるのだ。
さていったい何をドキュメントすればいいのか。そして、誰に監督してもらうか、という問題も解決しておらず、決定的な何かと誰かを見つけることができないままであった。
そんな時、平野さんが、「監督を公募しよう!」と前代未聞の提案をされた。普通ならあり得ないかもしれない。でも、太陽の塔に対する情熱をオーディションできるのは、それはすごく正しいことかもしれないと、公募を開始することにした。2016年の春のことである。
結果、98通の応募をいただき、最終6名の方とお会いしてテーマなどを聞く場を設けた。その中で、関根光才という映像作家のコンセプトは自分たちの想像を超えていた。
関根光才は、「太陽の塔を通して日本人とアートとの関わり方を描きたい」「太陽の塔を通して今ある状況、これからの日本を考えるきっかけにしたい。それが太陽の塔なんじゃないかと思う」と、プレゼンテーション用の資料も映像も何も持たずに、身ひとつで現れて、落ち着いた口調で話した。
今までのことを記録するのでなく、見る人とともに変わっていくドキュメンタリー映画。関根監督のこの提案に賭けてみたい!そんな、ワクワクする決定だった。

 岡本太郎の作った「太陽の塔」には過去と現在と未来の部分があり、ひとつの見方として、あれは曼荼羅なのだという。だから、『太陽の塔』というタイトルのついたこの映画も、過去と現在を描くと同時に、とりわけ未来につながる、そんなドキュメンタリー映画としたかった。

この映画を感じていただき、この映画を未来に向かって一緒に育てていただけたら、と願っています。