岡本太郎「明日の神話」は何が凄い?描かれたテーマとは?

岡本太郎「明日の神話」は何が凄い?描かれたテーマとは?

映画「太陽の塔」が制作・発表されたことで岡本太郎を知らなかった世代から岡本太郎への注目が集まっています。太陽の塔と同じく、岡本太郎の代表作として有名となっているのが「明日の神話」です。本記事では、明日の神話の何が凄いのか、どんなテーマで描かれたのかといった点を解説していきます。

岡本太郎の代表作「明日の神話」とは?

岡本太郎の代表作「明日の神話」は、1968年~1969年にメキシコシティに建設予定だったホテルから依頼されて制作された作品です。長さ30m、高さ5.5mといったかなり大きな壁画となります。
しかし、依頼したホテルの経営者の都合により、ホテルは完成することなく他の人の手に渡ることに。その際に明日の神話は取り外されてしまいメキシコ各地を転々とし、行方がわからなくなりました。明日の神話が岡本太郎の死後の2003年、メキシコシティの郊外にある資材置場に保管されていた明日の神話は、岡本太郎の元秘書で幼女の岡本敏子によって発見されました。

再生プロジェクトにより日本に移送される

明日の神話を30年ぶりに発見した岡本敏子は、どこかのお金持ちにお金を出してもらうのではなく、みんなで明日の神話を持って帰りたいと想いから、「明日の神話 再生プロジェクト」が立ち上がりました。
数多くの人たちのサポートによって、2005年に明日の神話は日本に移送されます。さらに、修復作業も行われ、2006年に一般公開されるという驚きのスピードで日本で復活を果たしました。

渋谷マークシティ内連絡通路へ設置

メキシコから日本に移送された明日の神話は、広島県広島市(被爆地)や大阪府吹田市(太陽の塔)、東京都渋谷区(岡本太郎のアトリエ近く)といった様々な地域が設置場所の候補となりました。岡本太郎記念館の館長は、それぞれの候補地を視察し、「多くの人が行き交う、大きな力を持っている場所、パブリックアートとして観賞目的以外の人が偶然作品に出会うのに適した場所」といった感想を渋谷マークシティ内連絡通路に持ち、そのまま恒久設置が決定しました。

明日の神話はどんなテーマで描かれた?

岡本太郎「明日の神話」は何が凄い?・作品の込められたテーマ

巨大な壁画である明日の神話は、一見するとおどろおどろしい雰囲気があります。
実は「原子爆弾が炸裂する悲劇の瞬間、それを誇らかに乗り越える人間の姿」をテーマに描かれています。多くの人が持つ少し怖いといったイメージはあながち間違いではないということです。
ですが、岡本太郎は怖いイメージではなく「人は残酷な惨劇も誇らかに乗り越えていくことができる」といった想いを込めて明日の神話を制作しています。作者の想いを知ると最初見た時とは違った見え方ができるのではないでしょうか。
また、明日の神話は大きくわけると以下のようなモチーフが描かれています。

・火をまとうガイコツ(中央)
・黒い人間(中央)
・海の上から炸裂するきのこ雲(右下から左上にかけて)
・外へ逃げようとする罪なき生きもの(右端)
・魚を釣り上げようとする漁船(右端下)
・悲劇を乗り越えた人間(左)

まとめ

岡本太郎の明日の神話は、現在の設置場所である渋谷マークシティ内連絡通路にたどり着くまでに30年以上の時間がかかりました。おどろおどろしい印象を持つ人が多いこちらの作品ですが、人間なら残酷な惨劇も乗り越えられるといった想いが込められています。
渋谷近くを訪れた際は、ぜひ明日の神話を見に行ってみてください。